中道左派になりたい

加藤高明伯「政党なるものは政権争奪の機関ではない。野にあっては、政府が過に陥ろうとするのを警告・匡救し、一旦大命を拝すれば、或いは自分に不便を感ずる事があっても、起って平素の主張を実現する。之が政党の使命であって、その国家に尽す道は、野にあると朝にあるとに依って異なる道理はない」

【思い込みの力】ルーチン化はどこまでも

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↑僕が敬愛してやまない加藤高明

どうもこんにちは、出会い系ですっぽかし食らった僕は今日も元気です‼

まあ出会い系は関係ないのですが、今日記事にしたいのはタイトルの通り、【ルーチン化はどこまでも】ということです。

仕事にしろ、勉強にしろ、効率よくしてゆくためにはルーチン化が必要となるわけですが、そのルーチン化を進めた先に、ルーチン化の壁のようなものを感じることって多いと思うのですよ‼「ここまでルーチン化したらあとは作業だなあ、つまらん‼」みたいな。しかしこれ、思い込みなんではないかなあ、と思うわけです。実際はもっとルーチン化の余地がある可能性があるにも関わらず、それを自分が潰しているんじゃないかと…


思い込みとは面白いもので、いったんそれが限界だ、と思った瞬間に、実際にそこに壁ができてしまうものなんですよ。しかしどうでしょう、ここであえて反対に考えてみる、というのは?つまりは、これはルーチン化の限界じゃない、まだまだルーチン化はできる‼とかんがえてみるわけです‼とするとどうでしょう‼段々見えてくるものが…出てきたり出てこなかったりするんじゃないでしょうか!


え?出てこないんじゃ意味ないって?ノンノン、それは違う違う、限界を広げる可能性が生まれるのが大事だってことです!実際にそれは限界だ、と決めつけた場合と、いやまだまだだと思い込んだ場合、どちらがより可能性があるか、ということなんです。前者の場合、可能性はゼロです。可能性という扉を閉めてしまっているわけですから、しかし後者の場合、可能性がある余地はあるわけです、これをどうみるかはあなたの自由ですが、どうせダメで元々なんだったら、可能性にかけてみるのもありなんじゃね⁉と私は思うわけです。


最後は自分の心懸けがだいじ、あなたの心懸け次第で、【ルーチン化はどこまでも】広がります。