【絶対の国益】は存在するか
こんにちは。今回は、【国益】について考えてみたいと思います。日韓外交の問題において、国益というワード、そして反日というワードを目にする機会が多いのが、この記事のきっかけです。私が呟いたツイートを交えて、書いて参りたいと思います。
国益というのは単一概念というわけではなく、韓国と親交を結ぶことによる国益と、竹島という領土を奪還することによる国益の二種に分類が可能。前者の国益を優先すれば、後者の国益が損なわれ、後者の国益を優先すれば、前者の国益が損なわれる。国益というのは保守派の一手専売でなく様々な形がある。
— わたなべ某🐰コニタンまとも 国民民主支持@保守との対話 (@KENSEIKAI_KOHO) 2019年9月5日
さて、国益国益言いますけれど、その国益って、どういう面での国の利益なんでしょうか。確かに、いわゆる保守派が言うように、竹島奪還には国益があるかもしれない。しかしながら、そればかりが国益でしょうか。韓国と親交を結ぶことによる国益、それもあるのではないですか。それに、竹島奪還による国益とは、別の国益を害しうる可能性もあるのではないでしょうか。別の面での国益を害しうる竹島奪還とは、絶対の国益でしょうか。国益とは、なにも保守派の一手専売とは限らないのではないでしょうか。
保守派がよく用いる、反日、売国奴、といった造語は正確ではない。思い描く国益に差こそあれ、どちらの考えにも国益がある。
— わたなべ某🐰コニタンまとも 国民民主支持@保守との対話 (@KENSEIKAI_KOHO) 2019年9月5日
自身が考える国益こそが真の国益だとし、そうでない人々を売国奴呼ばわりするというのは理性的な振る舞いとは言えないだろう。まず、国益とはなにか、意識合わせが必要だ。 https://t.co/QjbZDHj4se
そして、自身の国益と相容れない主張をする意見に対して、反日だ!売国奴だ!と言う人も珍しくない気がします。しかしながら、反日、ないしは売国奴であると、絶対に断言できるでしょうか。これは先ほどの話にも通じますが、竹島奪還という手法は、絶対の国益の手段でしょうか。仮に絶対と断言できないならば、反日、売国奴というのは主観的な評価に過ぎないのではないでしょうか。竹島奪還とは、絶対の国益と言えるでしょうか?そもそも、国益に絶対などあるのでしょうか?
国益とはなにか、国益とはどういうものか。
— わたなべ某🐰コニタンまとも 国民民主支持@保守との対話 (@KENSEIKAI_KOHO) 2019年9月5日
単一的な、唯物の国益に目を向けるのではなく、様々な視点から、国益というものを考えることが、真の愛国ではないか。 https://t.co/y8SI23t9Gg
そもそも、国益とはなにか、そこから考える必要があるのではないでしょうか。領土領有による国益、経済的な国益、国際的な信用を保つことによる国益。一口に国益と申しましても、その具体的な分野は多岐に渡るのではないでしょうか。国益とはなんですか。反日とはなんですか。
なにがプラスで、なにがマイナスか、それを突き詰めれば考えの違いとしか言えないだろう。 https://t.co/h3N3ahyFVk
— わたなべ某🐰コニタンまとも 国民民主支持@保守との対話 (@KENSEIKAI_KOHO) 2019年9月5日
この世界に絶対的なプラスもないし、絶対的なマイナスもない。
— わたなべ某🐰コニタンまとも 国民民主支持@保守との対話 (@KENSEIKAI_KOHO) 2019年9月5日
プラスマイナスには前置詞が必要だ。どういう面でプラスか、どういう面でマイナスか。そういうものを対話の中で検証して行くことが、議論の一つのありかたではないだろうか。 https://t.co/jkYGIiBbsN
これはなにも国益の話には限りません。絶対という概念、これを立証できますか。絶対的なプラス、絶対的なマイナス、これは人間が断言できるものでしょうか。国益の議論に限らず、一つの物事を絶対視して、他の物事の存在を絶対否定する。それが可能であると胸を張って言えるものでしょうか。絶対とか、正しさとか、そういうものに拘って、議論が成立するでしょうか?民主主義が守れるでしょうか?