中道左派になりたい

加藤高明伯「政党なるものは政権争奪の機関ではない。野にあっては、政府が過に陥ろうとするのを警告・匡救し、一旦大命を拝すれば、或いは自分に不便を感ずる事があっても、起って平素の主張を実現する。之が政党の使命であって、その国家に尽す道は、野にあると朝にあるとに依って異なる道理はない」

【立憲民主は素晴らしい】対決も解決も

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こんにちは。今回は立憲民主の素晴らしさ、そして、野党がやるべき今後の戦いかたを自らのツイートを引用しながら、書いて参りたいと思います。




立憲民主党、世間においては対決色が強いイメージがあるかと思います。そのおかげで、社会党の再来とまで言われます。しかしながら、立憲民主のこの対決路線は国民民主が持たない優れた点だと思います。ゆえに国民民主としては、立憲民主党のこうした手法を、尊重すべきだと思います。





ただ、立憲民主のやりかたで万事解決かと言われると、そんなことはないかと思います。対決色の強さばかり目立てば、建設性が失われ、抵抗野党のように見えることもあります。国民民主は立憲民主のやり方を尊重すべきではありますが、同時に、立憲民主側も国民民主のやり方を尊重すべきであると思います。立憲民主の対決手法による問題提起と、国民民主の解決手法による問題解決。これはどちらも必要かと思います。問題提起がないならば、問題解決はできませんし。問題解決がなければ、問題提起はただの扇動になってしまいます。対決にこそ解決が必要ですし、解決にこそ対決が必要であると思います。



まさに、対決か、解決か、といった二元的なことではなくて、対決も、解決も、というスタンスが良いのではないでしょうか。





しかし、立憲民主の皆さんに、国民民主の役割を認めろと言ったところで、受け入れていただける可能性は無に等しいと思います。立憲民主の手法が絶対とは言いませんが、その手法の有効性を認めること、これは国民民主側に必要なスタンスかと思います。手法を認めてほしいならば、まずは相手方の手法認める。これが必要かと思います。




対決も、解決も、それ単体では安易な記号化でしかありません。ダラダラと対決するのも、ダラダラと解決するのも、どちらも政権勢力の振る舞いではないと思います。メリハリよく、対決すべきところでは対決し、メリハリよく、解決すべきところでは解決を図る。こういう使い分けを明解にやることが、政権勢力として認知されるがための手段ではないでしょう。



まさに、ダラダラ解決派も、ダラダラ対決派もどっちもありえない話で、解決派ながらもメリハリある対決を認める人々と、対決派ながらもメリハリある解決を認める人々が提携してこそ、強い野党が生まれるのではないかと思います。


以上となります。ありがとうございました。