中道左派になりたい

加藤高明伯「政党なるものは政権争奪の機関ではない。野にあっては、政府が過に陥ろうとするのを警告・匡救し、一旦大命を拝すれば、或いは自分に不便を感ずる事があっても、起って平素の主張を実現する。之が政党の使命であって、その国家に尽す道は、野にあると朝にあるとに依って異なる道理はない」

よく考えたら当たり前の話

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こんにちは、なんか雨降ったりやんだりしてますね、天候にも一貫性が欲しいところです。


さて、今回お話するのは、ごくごく当たり前のお話。

これは先程の自分のツイート。ツイッター上でも政治談義が多く交わされていますが、「押し付け」のようなやりとりは体感的に多いかと思います。それは政治的なスタンスに関係なく、散見されます。たとえば以下のような発言。

右派「日本を愛さないのは非国民」
左派「日本を愛するのは戦争主義者」

恐らく両者ともに、ご自身が国を愛していたり、国が嫌いだったりするのでしょうが、ここで注目すべきは、自分以外の他者にまで、それを押し付けていることにあります。愛国にせよ、国が嫌いなのにせよ、本来それは個人がそれぞれ抱く感情であり、そうでない人を異端かのように主張することは、まさしく「押し付け」でしかありません。まあそもそも例文の主張の論理自体がちぐはぐではありますが、自分と違いがあるというだけで、妙なレッテルを貼られるのは、互いに不快であると思います。自分がされて嫌なこと=意見の押し付けをすることは、マナー違反という話です。大事なのは違いを否定することではありません、違いを受け入れ、意図を汲み取ることです。この最低限のマナーすら守れなくては、議論などは成り立ちません。非難の応酬は議論の本来のあり方ではないのです。

まあそもそも、こうした考えを僕が誰かに押し付けすることもまた、マナー違反と言えるでしょう。最後に決めるのは自分自身であり、他の誰でもないからです。
マナーを守って楽しく議論‼を意識したいと自戒を込めて記事にさせていただきました。それでは失礼致します。